第VI章

瞑想のヨガ (Adhyatma Yoga)

主クリシュナは言いました、「行動の結果に依存せずに義務を果たす者は、サンニャーシンとヨギである。火がなく、行動がない者を指すではない。(1)

ヨガに到達することを望むMuniまたは賢者の場合、行動は手段であると言われている。ヨガを行う賢者にとっては、行動をしないことをも手段と言う。(3)

己のみが自分自身を引き上げる。自己については自分だけが友人であり、同時に自分自身の敵でもある。(5)

自己は自己によってコントロールされるとき友人であるが、コントロールされていない自己は、外敵のようなものである。(6)

だから明確な場所、高すぎず低すぎない場所に布か編んだ草を敷き身体を固定し、身体、頭と首をしっかりと直立させ、周りをきょろきょろせず鼻の先端を凝視して、禁欲の誓いに心を置き、私(神)のことを考え、バランスをとって座るならば私である最高の目標に到達するだろう。(14)

アルジュナよ、ヨガは、食べ過ぎたり、または全く食事をしないとき、またはあまりにも眠るとき、いつも起きている場合も、行うことはできない。(16)

ヨガは、適度な睡眠と覚醒、適度な食事やレクリエーションにより痛みを取り除くものとなる。(17)

知性を用いるならば少しずつ心の静けさを達成することができる。自己に心を確立させる、すなわち何も考えないようにすることができるようになる。 (25)

何かが原因で落ち着きと平常心がかき乱されるようなら、コントロールしてみるべきである。(26)

心がヨガによって整えば、ひとは自己を見てそこにすべての人間を見て、すべての生命を見て、どこにも同じ魂を見るだろう。(29)

どこにでも私を見るものは、私の中にすべてを見るだろう。その者はもう私から離れたり、また私は彼から離れることはない。(30)

アルジュナは言いました、「おおクリシュナ、心は本当に落ち着きのない、乱流のようなもの。強く勝気で、私はそれを風のようにコントロールすることは非常に難しいと思うのです」 (34)

主クリシュナは言いました、「間違いない、おお強い戦士よ、心とは制御することが困難で、落ち着かないものだが、実際にはKaunteyaよ、実践によって、それをコントロールすることはできるだろう」(35)

アルジュナは言いました。「信仰はしていても心がヨガから離れてさまよい、自分自身をコントロールすることができない者は、ヨガによって完璧となろうとして失敗したものは死んだのちどうなるのですか?おおクリシュナよ」(37)

祝福された主クリシュナは言いました、「義の世界に到達した者は、永遠の世界に住むだろう。そして、到達できなかった者は、純粋で裕福なヨガの家に生まれ変わるだろう。(41)

または賢明なヨギの家族として産まれてくるだろう。本当にこのような出生は、この世界でも稀なことである。(42)それからその者は前世の身体で得られた知識と連絡を取り、以前より多くを努力することだろう。ああ、Kurusの息子よ。(43)

産まれ出でる前世の修行によって、その者はヨガを知り望むBrahmicな世界へとたどり着く。(44)

ヨギは、修練に優れ、(聖典の研究を通じて得られた)知識に優れている。ヨギはまた、行動にも優れている。したがって、あなたはヨギなのだ、アルジュナよ!(46)

そしてすべてのヨギの中で、内面の自己と完全な私への信仰、崇拝を向けるものが最も敬虔なヨギである」(47)

文章について説明

●1.スワミ・シバナンダ師からの学びをもとに、クリシュナ・グルジが要約したバガヴァッド・ギーターの翻訳文を紹介します。

●2.”忙しい人のためのバガヴァッド・ギーター”というコンセプトで、バガヴァッド・ギーターのエッセンスが学べる内容です。

●3.文章の中にある(20)←などの数字の意味は、バガヴァッド・ギーターの詩の番号です。

クリシュナ・グルジからのメッセージ

皆さんの心理的な管理やライフスタイルの管理のために一番役立つ内容が明確に書いてあるのがバガヴァッド・ギーターです。
ぜひ、読んでみてください。
By クリシュナ・グルジ

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