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KRISHNA GURUJI|クリシュナ・グルジ

東インド生まれ。
ヨガ一家に生まれ、幼少期からヨガの練習をおこなう。

14年に渡りヨガの聖地とも言われるインドのリシケシのヨガアシュラムで修行し、アーサナ、瞑想、ヨガ哲学、呼吸法、アーユルヴェーダなどヨガに関する全ての知識や実践を網羅。

現在ヨガ修行は30年を越え、15年前から日本に拠点を移し、本場インドの伝統的なヨガの真髄を各地で指導中。

12年前より新潟を拠点にし、現在YOGA総合施設『ヨガスパ ヨガユフ | YOGA SPA yogayuH』のプロデューサー、クラスを担当する。

主な経歴

◆シバナンダアシュラム ヨーガ指導可能証明書取得。
◆YOGA VIDIA GURUKURU・ヨガトレーニングコース修了。
◆ハタヨガやインド古典YOGAについて、プロフェッショナルと認められる。
◆シッダカラアーユルヴェーダカレッジよりアーユルヴェーダ修了証取得。

ヒストリー

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私はヨギー一家に生まれました。
父が熱心なヨギーだったこともあり、7歳から私は家族の伝統の一環としてヨガを練習してきました。

父は偉大なヨガマスタースワミシヴァナンダの直弟子でした。
私のヨガの最初の先生は父です。

私の家族の伝統として、毎年家から500キロ離れているリシケシ・シヴァナンダアシュラムを訪問していました。

私は海洋工学大学卒業後、1年半海軍エンジニアに就職しました。
海上での長い旅でいくつかの国を訪問しました。

しかし、船での生活は唯物と孤独でした。
友人や同僚はアルコール、ダンス、食べ物や嗜好品で時間を費やしました。
我々は常に愛と孤独の不足を克服するために楽しさとエンターテイメントを作りました。

しかし、その生活は私を魅了しませんでした。
私の余暇のほとんどは、静かに海を観察して過ごし、人生の本当の意味を発見しようとしました。
いつも自分自身と心を見回しました。

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船での仕事を行う乗務員は、長期休暇が与えられます。

1990年6ヶ月の休暇中、私はボランティアとしてリシュケシュ・シバナンダアシュラムに参加しました。
その時私は3ヶ月間の集中的なヨガティーチャーズトレーニングコースの機会があり受講しました。

その後、私はアシュラムの印刷とコンピュータセクション部門のボランティアを担当しました。
私と一緒に30名ほどのボランティアがいました。

ボランティア活動中に、スワミチダナンダ、スワミクリシュナナンダ、スワミマハヴァンダ、スワミヴィディアナンダ、スワミブラマーナンダ、スワミダヤナンダなど多くの素晴らしいスワミジと出会いました。

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私はここに平和と私の自己を見つけることができました。
そして、海軍エンジニアリングの仕事に戻りませんでした。

父は私が戻ることを望んだが、私の意志は強かったのです。
またスワミジも私がアシュラムを去ることを許さなかった。

私の父の要求に応答して、スワミジは言った「私たちに彼が必要と…」。
最終的に父は許可しました。
その後、私はフルタイムのボランティアとなり、2005年までの15年間にアシュラムに勤めました。

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アシュラムでの生活の間に、私は最後の8年間に何回も深いヒマラヤを訪れました。
ヒマラヤにはヨガの練習のために行きました。
毎年、ヒマラヤに6ヶ月アシュラムで6ヶ月住んでいました。

ヒマラヤでは、私は多くの偉大な聖人とグルに会いました。
彼らは「サマディー」を教えてくれました。

11歳以来そこに住んでいる達人で、彼は私にスピリチュアルネーム「クリシュナ」を与えてくれました。
今彼はプラーナヤマを実践しているおかげで、約115歳です。

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アシュラムで仕事の間に多くの外国人が訪れました。
ヨガの外国人学習者、特に日本人の参加者を教えました。

それ以来、私は日本の人々や文化に触れる機会が増えました。
私はその時から日本語を勉強しはじめました。
私の師は、私に日本でヨガを広めるために方向を与えました。

彼は言いました。

「日本は良い国ですが、ストレスを抱えながら住んでいます。
日本にいくならばそのストレスの無い生活の助けになるためにヨガを教えてください。
彼らは禅瞑想という良い基盤を持っています。
それはあなたがヨガを広める助けになります。」

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私は師の言葉に導かれて日本に拠点を移しました。

あれからもう10年以上経ちました。

私はこれからも日本の皆さんが、ヨガによってストレスの無い、体も心も魂も健康な生活ができるようサポートします。